【どうせ人の本質なんて変わらないと思って生きたほうが楽】

というお話。

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みなさま、今日も一日、お疲れ様です!

やっとアンチくんのパーツ準備が完了して、

最終準備に入っております。

そういえば、4月って短いんでしたね。

4月中をメドにといっていましたが、

31日まで気分でおりました。

ああ、急がないと……。

さて。

偽善者が大嫌いな私がお送りする、自分勝手な夢見持論のお時間です。

人によっては強く反論したいような内容になっているかと思いますが、

『私はそう思って生きています』というお話ですので、

気の長いかたはお付き合いくださいませ。

短気な方は、回れ右でお帰りいただいたほうが良いかもしれません。

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『人間の本質は変わらない』

と、私は思っています。

どのくらいの時期に、その人の本質的な性格が確定するのかはわかりません。

3歳の頃か、もう少しあとか。

それとも、生まれた時からある程度の性質は決定しているかもしれません。

いずれにせよ、成人した人間の本質は、そうそう大きく変化する事など無い。

と私は考えております。

おい、そんな事はないぞ!と思う方も多いでしょうか?

たとえば、

生死の境をさまようような出来事を経験したり、

逮捕されたり、

重病に陥ったりすることで、

人が変わったようになるケースもあるんじゃないか?

とか。

はい。そういった事もあるんでしょうね。

実際に人の性格が変わることも、あると思いますよ。

なにごとにも例外はあるでしょう。

今回のコラムは、

実際に『人は変わることができるのか否か』を証明したいのではなく、

人の本質はどちらであるかの基本的な捉え方を明確にすることで、

自身の行動をコントロールするための重要な指針になりますよね、

というお話です。

『人は変わらない』という前提で物事を考えたほうが、

格段に生きやすいはずなのです。

これには。

『自分の本質は変わらない』

『他者の本質は変わらない』

の視点があるかと思いますので、

順番にいきましょう。

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まず他者についてですが。

これは、

『変わらない前提で接したほうが関係性が崩れにくい』のは、間違いないでしょう。

軽薄な人の中には。

何かを押し付ける時に

『アナタのために言っているんだよ』などと言う人がいます。

実に迷惑な話です。

相手の事を従わせたいという意図であるにも関わらず、

『アナタのため』などとわざわざ言う人は、偽善者と言っていいでしょう。

まあ、思慮の浅い人でなければ『アナタのため』なんて見え透いた言葉は使わないとは思いますが、

心のなかで『相手の気にくわない部分を変えたい』と思ってしまう瞬間は、

私をふくめ、多くの人にあるかと思います。

身勝手であったり、ルーズであったり。

友人の『欠点』と思う部分を、指摘して、直してやりたいと思ってしまう事は、誰にでもあるものです。

しかし、それは、『友人のため』ではなく、

『自分が不愉快な気分になりたくないため』です。

でも。

指摘したい気持ちが湧いてくるのは、なかなか止めることができないものです。

根本の原因は『相手が変わることができると期待しているから』ではないでしょうか。

しかし、『指摘したところで、一時的には改善されたように見えたとしても、結局は元に戻るものだ』

という前提で物事を捉えていれば、指摘したって無駄ということがわかります。

今までに、アナタが指摘したことで、相手の人の本質的な性格が変更(アナタにとっては改善)された事は、

ありましたでしょうか?

学生時代の友達は、学生時代の性格から、同じ性格が続いていたり、しませんか?

以前に、刑務所から出てきて間もない頃は『人が変わったよう』に見えた著名人がいましたが、

時間の経過とともに、元の性格に戻っていきました。

結局は、変わったように見えるのはその時だけで、

ヒトの本質部分の性格は、そうそう変わる事はないと思っております。

アナタの周りの人達の過去と現在を見たとき、そうはなっておりませんか?

……繰り返しになりますが、100%のお話をしているわけではありませんよ。

いずれにしても、

他人から説教されるのは『余計なお世話』ですし、

『アナタのため』なんかでは無いはずです。

本当の『アナタのため』を思うならば、どうすればよいのか?

それは『相手を否定しないこと』です。

人間は、肯定されたい生き物です。

衣食住を除けば、

肯定される事こそが人生の目的であると言っても過言ではないでしょう。

高いブランドものを買うのも、車を買うのも、アピールをするのも、異性にモテたいのも。

すべて『他人から肯定されたい』からです。

『アナタのため』と言いながら説教されるのは、

肯定とは真逆の『否定』です。

相手から好かれたかったり、

コミュニケーションを円滑にしたいのであれば、

もっとも有効な選択肢は、

『相手を否定しないこと』が、多くの場面での答えなはずです。

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どうせヒトは変われないという前提で生きることは、

自分の中の偽善者が顔を出すことを未然に防ぐことにつながり、

コミュニケーションにおいては有効な心構えとなり得ると思っております。

もちろん。

友人が犯罪に手を染めていたり、

薬物中毒であったり、

単純な無知により間違った事をしていたり。

そういったケースでは指摘すべき事例はいくらでもあるでしょう。

しかし、私たちは日常的に『他人のアラ探し』をしてしまう生き物なので、

日々の生活の中で、頻繁に『余計なお世話』をしたがるから厄介なわけですね。

自分と近い存在のヒトにおいては、特に。

肯定されたい生き物同士、

相手のためを思うのなら、

『否定しない』ことこそが、

いちばんの『アナタのため』になるでしょう。

さて。

混同しやすいのですが、

これは、『人を否定するな』というお話ではありません。

『人を否定しておきながら、その人のためだと思い込むからおかしくなるんだ』という話です。

人を否定したかったり、他人の行為を指摘する時は

『私が嫌だからやめてください』と言うべきだと思っています。

『アナタがよそでどう振る舞おうがかまわないけど、私は不快だからそれをやめて』とか。

言い方がここまで直接的だと喧嘩になりますが、

内容的には、『アナタのため』ではなく、

『自分のため』という前提で、指摘するべきだと思うのです。

実際にそうですし。

ということで。

次は、

『自分の本質は変わらない』というケースです。

自己啓発セミナーの定番フレーズで、

『アナタは今日からでも変わることができます!』

なんてのがありますね。

一見したらポジティブなメッセージに思えますが、

人生を生きやすくするには、害になる考え方だと思っております。

なぜなら、事実ではないからです。

アナタも私も、いい歳した大人なら、もう変われません。

本質的な部分では、もはや手遅れです。

攻撃的な人が、攻撃的でなくなる事はありませんし、

嫉妬深い人が、嫉妬しないような性格にはなりません。

できるのは、『性格を変化させる事』ではなく、

『行動や状況を変える事』だけです

これらは、似て非なるものですので、

分離して認識しておいたほうが良いと思っております。

『自分の持っている本質的性格は変わらない』と思ったほうが、

多くのことがうまくいくからです。

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『芸能人のゴシップに興味のある人と、無い人』がいると思います。

私は、無いほうだと思います。

なぜなら、それらの情報を知らないからです。

そう。

『芸能ゴシップネタが入ってこない状況に身を置いているだけ』です。

意識高い系の発信者さんには、ゴシップを馬鹿にする人が多いかと思います。

『芸能人の不祥事なんかで騒いでるやつは馬鹿だ』

『人の否定ばかりしてないで自分を磨け!』

なんて事を言ったりしてますよね。

しかし、

『芸能人の不祥事で騒ぐ人』と

『不祥事で騒ぐ人を否定して騒ぐ人』の心理状態は、

ほぼ同一だと思います。

それらは、他人への妬みや嫉妬、嫌悪感などであり、

同じ『煩悩』ではないでしょうか?

そもそも、人は全員ゴシップが好きなのです。

『不祥事』で騒ぐ人達を否定する人達は、

『騒ぐ人達を見て騒いでいる』だけですね。

私は『仏教』の考え方は、倫理を体系的にまとめたものとして、

非常に参考になるものだと思っております。

しかし、果たして人は『煩悩』を消せるものなのでしょうか?

……ここでも『煩悩を消せるか否か』を証明するのが目的ではありません(そんな事は不可能ですし)

煩悩を消せると考えたほうが生きやすいのか、

消せないと考えたほうが生きやすいのか。

という話です。

私は、煩悩は消せないと考えております。

少なくとも、私は死ぬまで消せません。

確信的に自覚しています。

消せている人を見たこともありません。

仏教では、煩悩は色々な分類の仕方をするようですが【五下分結(ごげぶんけつ)】と言う分け方があるそうです。

ウィキペディアから引用してみます。

1.貪欲(とんよく) - 渇望・欲望
2.瞋恚(しんに) - 悪意・憎しみ
3.有身見(うしんけん) - 我執
4.戒禁取見(かいごんじゅけん) - 誤った戒律・禁制への執着
5.疑(ぎ) - 疑い

いかがでしょう。

このうちの【瞋恚】がとくに今回の話と関係が深そうですね。

自己啓発の本では、

『嫉妬や憎しみは意味の無い感情(自分を苦しめる感情)ですから捨てるべきです』

といった内容が書かれていたりするわけですが、

その指摘自体が、『他者に説教をして悦に入るという煩悩』のように感じることが、多々あります。

それを自覚した上で、自分も修行の道半ばなのだという方もいるでしょうし、

教えを広め導くことは別だという考えもあるでしょうし、

もしかしたら私などでは理解不能な心理状態まで到達した人もいるのかもしれません。

しかし、私や、その他多くの人にとって、

本当に『嫉妬や憎しみ』などの煩悩を、捨て去ることなどできるのでしょうか?

生きている内にそんな高みに到達することなど、不可能ではないでしょうか?

不可能なものを目指すのは、苦しくないですか?

前述の通り、人はゴシップが好きなのです。

妬み、嫉妬するいきものです。

そうすることも、生存競争に必要な要素として進化してきた生き物です。

利他的な生き物は、淘汰させますので絶滅します。

利己的は進化に必要な要素であり、遺伝子に組み込まれた命令情報ではないのでしょうか。

そうであれば、嫉妬や憎しみを捨てされるなどというファンタジーな事は、

最初から期待しないほうが、生きやすいとは思いませんか?

私はもちろん煩悩まみれな人間のひとりですが、

芸能ゴシップには興味はありません。

それは、『そういった情報に触れていない』だけです。

ゴシップ好きである本能を消せているのではなく、

ゴシップに興味がわかない状況選択をしているだけです。

そういった方法論によって、嫉妬や憎しみを近づけない事は、普通に可能だと思います。

また、ゴシップ好きなら、それはそれで良いとも思います。

叩かれる芸能人の人も大変ですが、

そういった人間の本能が渦巻いている中で、

ここまではOKで、ここからは名誉毀損だとかのルールが形成され、

全体として統制がとられていくのでしょう。

自分もゴシップ好きなのに、あたかも、それらの人よりも上位の存在であるかのように振る舞っている意識高い系のインフルエンサーさんというのは、

『ゴシップ好きを叩くというゴシップ』が好きな人達というわけですね。

煩悩なんて、消せません。

出来ない事を目指すのは、無駄な努力ですし、どこかで挫折するだけです。

もし煩悩から距離を置きたいのであれば、

わたしたちに出来ることは、

『没頭すること』や『情報を増やすこと』だと思います。

具体的にいうと?

たとえば。

禅では、坐禅をしますよね。

掃除も重要視されますし、

料理や食事も大切な修行とされておりますね。

これは、良いと思います。

NFTのガチホで坐禅という単語が使われており、

これはクソですが、

本来の坐禅は良いと思いますよ。

しかしわたしは禅を語れるような専門家ではありませんので、

もっと身近で、単純な方法論として、

『何かに集中すること』が良いのだろうな、と思っております。

私の場合は坐禅はしませんが、

物作りの作業に没頭している時に、

限りなく余計な考えを排除できている心理状態になり、

煩悩が『保留』されているような状態になります。

あくまで、一時的に出てきていないだけで、消えているわけではありません。

しかし、出てこない状態が多くなれば、

芸能ゴシップと同じで、

ある程度は煩悩と距離がおけるのではないでしょうか。

出来もしない事を出来ると思うのは苦しい事ですから、

まずは『出来ない事なのだ』と正しい認識をすることで、

正しい戦略を取れると思うわけです。

例えば。

このコラム(前編)を読んで『アナタのために』という言葉を使わなくなった人がいるとします。

それは、その人の性格が押し付けがましくなくなったのではなく、

『アナタのために』という言葉の本質について、情報が増えただけのことだと思います。

それまでは、『アナタのために』という言葉に、どういった矛盾があるかを

考えたこともなかった人は、単なる情報不足により安易に使っていた場合も多いでしょう。

ですから、情報が増えれば、選択肢が変わることは普通にあり得ますし、難しいことでも無いと思います。

私は、『自分の性格は変わらない』という前提を持った上で、

状況や戦略を変えれば、ゴシップには見向きもしないようにもなれますし、

『自分が望む性格の人のように振る舞える状況づくり』は可能だと思っております。

繰り返しとなりますが、

必ずしも煩悩的な行動を変える必要があるわけではないと思っておりますので、

ゴシップニュースが楽しい人は、引き続き楽しめば良いと思います。

ゴシップニュースから距離を置きたい人は、

性格を変えることは不可能ですが、

距離を置く方法はいくらでもあると思いますよ。

というお話でした。

今回のまとめです。

『崇高な存在ではないのに、崇高な存在であるかのように自分を演出する人は、嫌いです』

ではでは。おやすみなさい!

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